はじめまして、セラバン(@shinya_k8)と申します。
当ブログをご覧くださり、ありがとうございます。
今回は、わたし自身のプロフィールやどういった経緯で「webライター」を始めたかを書いていこうと思います。
今回、プロフィールに書こうか迷った部分もあります。
でも、わたし自身を知ってもらうために過去から目を背けず正直に書いていこうと思います。
お時間がある方は「セラバン?どんな人か読んであげよう」くらいでサラっと読んでいただけたら幸いです。
セラバンのプロフィール
1989年生まれの九州育ち。
現在の年齢は32歳で、息子が2人の4人家族です。
4歳と1歳のわんぱく小僧で毎日、元気が有り余っていて困るくらいです。
本業は理学療法士として病院に勤務しています。
仕事から帰宅後は、戦いごっこをして2人をお風呂に入れて寝付かせが完了したらやっと副業の時間です。
空いた時間でお風呂洗いに皿洗いもしているので、マジで猫の手も借りたいくらい忙しい・・・。
そんな毎日を過ごしているわたしの幼少期についてご紹介しますね!
小学校時代
兄の影響を受けて小学校2年生からソフトボールをしていました。
学校から帰れば、兄とキャッチボールをして過ごす日々でしたね。
そして、いきなり重たい話になってしまいますが2年間ほど「いじめ」を受けていました。
今でも思い出すとツライですが、「副業webライター」をはじめたことにも繋がるので書いていこうと思います。
いじめられ始めたキッカケは特になく急に始まりました。
エピソードはこんな感じ。
- 机に入れておいた教科書がずぶ濡れになってトイレに放置されてる
- 「実験するから貸せ!」と言われ、上履きをウ○チが残っていた便器に流される
- ゴミ捨て場に落ちていた食パンに、いじめっ子がおしっこして無理やり踏まされる
- マンション全ての「インターホン押さないと帰さない」と言われ19時まで軟禁される(小3の時)
- 上履きのゴムの部分を2回ほど切断される
- 持っていた遊戯王のレアカードは全て没収される
などなど。
ここには書けない内容のいじめもあります。
いじめられていることは、親に相談しました。
今でも鮮明に覚えていて、夕食を食べ終わった後に「母親、兄、妹」がいるリビングで泣きながら伝えました。
「○○からいじめられる。学校に行きたくない」と。
親から返ってきた言葉は、「学校には行きなさい」でした。
相手にされていないと思ったし、悲しい思いをしたのを覚えています。
数日後、我慢できなくなり思い立ちます。
学校から帰ってきて死のうと思い、台所から包丁を取って腹に突きつけました。
親への申し訳なさやいじめに負けた悔しさ誰も助けてくれないという悲しさなど、色々な思いが溢れかえって泣きじゃくってましたね。
でも、なかなか死ねないんですよ。
「死のう」と覚悟を決めても、その場になると怖いんです。
腹に包丁を突き付けたまま10分くらいは、動けずにいたと思います。
そんな時に兄が学校から帰宅。包丁を突き付けているわたしを見て鬼の形相で向かってきてぶっ飛ばされました。
色んなことを言われたけど、泣きじゃくっていたのであまり内容は覚えていません。
それからすぐにいじめは無くなりました。
当時は「良かった」という思いでいっぱいでしたが、後から友人に聞いた話によると兄がいじめっ子のところに行って懲らしめたらしいです。
大人になって兄に聞いても教えてくれませんが。
中学校時代
いじめも無くなり平穏な毎日を過ごしていましたが、段々と状況が変わっていきます。
兄が中学3年生でわたしが中学1年生。
兄がだんだんと不良の道へと進みはじめます。
当時、住んでいた地域は治安が悪く中学校の校門には毎日パトカーが止まっているのが当たり前。
学校の廊下でバイクが走りまわるし、毎年の卒業式では「お礼参り」があるし車はボコボコにされる。
そんな学校でした。
学校の先生や警察が家にくることが当たり前になり、敵対していた不良グループが自宅前で兄を待ち伏せをしている日もありました。
家庭内もグチャグチャになってしまい、ただただ毎日が不安でしたね。
高校生時代
高校時代は、野球漬けの毎日。
部活が終わっても筋トレをしたり、走り込んだりで野球一色でした。
英語に関しては理解不能で偏差値は「35」という数値をたたき出したこともあります。
基本的に勉強は苦手で「何でこんな事覚えないといけなんだ」「社会に出ても1つも役に立たない」と、勉強することから逃げていました。
でも、高校生3年生になれば決めないといけない進路先。
やりたいこともなくクラスの友達が「理学療法士になる」というを聞いて「俺もそれでいいや」と決め今に至っています。
自分で未来を考えることもなく、思考停止状態の人間でしたね。
専門学校時代
そんな思いで進んだ専門学校。
専門学校は受験者全員合格という超ハードルが低い学校です。
専門学校時代は、勉強というよりもバイトに明け暮れました。
- ピザ屋
- 鉄板料理屋
- 回転寿司屋
- 日雇いの引っ越し
など。高い時給を求めていろいろなバイトをしましたね。
なぜ、こんなにバイトしたかと言うと「学費を稼ぐため」です。
親からは「お金がない。進学するなら自分で払え」と言われ、学校に行くためにバイトに明け暮れます。
- 9時~17時まで回転寿司
- 17時30分~23時30分まで鉄板料理屋
休日は、このシフトで3年ほど働きました。
今の自分がやったら間違いなく倒れますね。
そうやって貯めたお金と奨学金で、無事卒業して就職することができました。
会社員時代
理学療法士として病院に就職します。
先輩や患者さん、患者さんの家族と話すことに苦労することが多く毎日がストレスでした。
同期とは仲良くできていたので何とか続けることができていましたが、事件が起きます。
結婚して新婚旅行にいった時のお土産をスタッフに配りました。
何が起きたと思いますか?
まさかまさかで、わたしのデスクの上に返却されてました・・・・・・。
こんなことあります?
捨てるならまだしも返却ですよ。しかも、何個も。
ショックでしたが、この時に知ったことは「平気で人を傷つける人は、どこにでもいるんだな」でした。
小学生時代のいじめ、社会人時代の経験から人とのコミュニケーションは苦手です。「人は簡単に信じてはダメ」だとも思っています。
副業をはじめたキッカケ
「もっとお金が欲しい」とか「将来が不安だから」という理由で副業をされている人も多いと思います。
けど、わたしはちょっと違う理由なんです。
息子たちが大きくなって「いじめられてる。学校に行きたくない」と言われたらと、想像したことがキッカケ。
その時に「行かなくていいんじゃない?よし。ちょっと旅に出よう!」と言える状態にしたいから。
過去の自分と同じような思いをしてほしくないし、ツライなら逃げても良いことを教えたいと思っています。
そのためには、本業を辞めても生活が困らない状態にしておくことが必須条件。
そんな思いを持ちながら今まで様々な副業にチャレンジしてきました。
- ebay輸出
- 無在庫転売
- アフィリエイト
- ブログ
結果は全て失敗。
上記の副業にかけたお金は総額100万円ほど。
利益を出るどころか、むしろマイナスです。
「もう俺には無理かな」と思っていたときに知ったのが「webライター」でした。
マナブさんのYOUTUBEを見てwebライターという仕事を知り、すぐに始められるというので早速チャレンジ!
このプロフィールを書いている時点で、5ヶ月が経過していますが、他のwebライターの方に比べればライティング力もまだまだ。
もっと勉強していかないといけないと思っています。
収益に関して言えば、やっと4ヶ月目で5万円を稼ぐことができました。5万円を達成した時は、素直に嬉しかったですね!
とりあえずの目標は「月10万円を稼ぐこと」です。
webライターをやっているキッカケは違えど、副業で頑張って記事を書いている人。
自分みたいに子育てをしながら、将来のために副業を頑張っている人にとって少しでも役に立つブログになればと思っています。
今後は収益報告の記事もUPしていきますね!